2012年4月27日金曜日
守・破・離
即戦力の条件
けれども、即戦力の意味には少し誤解があるように思える。「すぐに社会人と同じように仕事が出来ること」―多くの会社の真意はきっとそこにはない。
そんなことを多くの会社は期待してはいないし、期待していたとしたらそれは相当な人気企業で世界中の候補者から、1000人に1人の人を選りすぐれるようなごく一部の会社である。そうでなければ、私達には人材を育てる余裕も器も意思もありませんが、専門性を身に付けてくれていたら多少給料をはずみますよ、と言うような会社だ。人の価値観はそれぞれだから、最初の会社に求めるモノも人によって色々あっていいのだけれど、この辺に考えをめぐらせずに企業を選択すると間違った判断をする。
「即戦力」の指標としてよく挙げられるのは、英語や会計・法律・ITなどの専門分野に関する知識などだが、それはほんの一面的な指標に過ぎない。TOEIC800点以上、会計士の資格を持っている、法律の知識がある、ITに詳しい、そういうことだけを求めているなら高校も大学も行かずに中学卒業後すぐに専門学校に通っていた人ばかりを採っているはずである。しかし現実はそうではない。もちろん「スキル」はあるに越したことはないからこれを機に勉強すること自体は無駄ではないし、その努力のプロセスは。けれども、「スキルは持っているが思考のない人」は、「スキルがない人」よりも実はタチが悪かったりする。自分の真価を誤解していることが多いからだ。
「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」―慶應義塾の中興の祖、小泉信三は言った。今必要と言われているからやるのではなく、何が必要かを自分の頭でとことん考える力を磨きたい。きっとこの力が、時空を超えて「即戦力」になるための条件である。
2011年6月1日水曜日
いとしさと、切なさと、心強さと-組織人編
2011年5月11日水曜日
青春の詩
さて青春とは一体何だろう
その答えは人それぞれで違うだろう
ただ一つ、これだけは言えるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人たちがあと30年生きるなら
僕たちはあと50年生きるだろう
この貴重なひとときを僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひとときを僕たちは
青春と呼んでもいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
皆さん青春を…
今このひとときも、僕の青春
夢を追い求める、逆境に立ち向かう、弱い自分と向き合う―。挑戦の仕方はそれぞれ違う。大人から見たらなんと不器用なことをやってるんだと思うこともある。それは違うっしょ、と口出ししたくなることもある。けれども、彼らはしたり顔で能書きをタレて諦めることなんてない。「何かをしないではいられない」彼らの必死でまっすぐなまなざし、自分で限界を決めることなく挑戦する姿は、形は違ってもいつも私の胸をアツくしてくれる。勇気をくれる。
せっかくだで青春しようぜ、オッサンもオバサンも!!
No impression, no life.
震災から2カ月。新しい日本を創るのは、俺たち全員の挑戦だ。2011年5月9日月曜日
「ホリエモン事件」の向こう側
一方で、過剰なまでに彼を神格化する一部の人たちの姿勢や、「盾突いたものを排除するための旧勢力による陰謀に過ぎない」などといった短絡的な主張には強い違和感を覚える。
彼が買収しようとしたニッポン放送やフジサンケイグループ。新球団創設の際に強固に反対した既存球団のオーナーたち。多かれ少なかれ株主の意向に配慮しなければならず、しかも資金力のある人なら誰でも自分のオーナーになる可能性のある形態に、中立性を求められるマスコミが自ら進んでなったことには、素人考えでも疑問を抱く。また、彼らの報道が「正義」の名のもとの独善に見えることも少なくない。だから私は、彼が敵に回したとされるこうした勢力の肩を持つつもりはない。けれどもホリエモンの肩も持てない。
当時の彼が見誤った最大のポイントは、社会を作っているものは人間であるということだったのかもしれない。社会には私たち凡人の目から見てもなんとも不合理で不条理に見えることもある位だから、先人たちが築いたものが彼にはもっとバカバカしいことに見えただろう。しかし、どんな世界でも、その世界に生きてきた人たちには、自分がその世界を守り、築いてきた気概がある。それを顧みることなく、また顧みていたとしても尊重されたと感じることがなければ、いくら正論であったとしても人はその人の言うことに「Yes」と言いたくなくなる。残念ながら、ホリエモンは少なくとも敬意を払っていることを感じさせられなかったのだろう。これまでの体制や価値観に対する不遜とも言える態度が彼の足もとをすくった。
日本の金融の大変革期に微力ながらその変革の一端を担う立場にあった者として言えるのは、どんなに不合理に見えることであっても、それには必ず存在する合理的な理由がある、ということ。そして、その理由を腹の底から共有し、その背景に対する敬意なくして「改革」は進まない。そして「抵抗勢力」からも協力が得られて初めて、その改革は成ったと言える。
私はホリエモンのチャレンジ自体が否定されたとは思わない。むしろ、彼のチャレンジ精神は若者を初めとして多くの人に支持され、実刑判決が下ってもなお、彼はいまだにプラスの意味で社会的に大きな影響力を保っている。そしてこれからもきっと何らかの形で、新しい時代を創る作業に関わってくれると信じている。
俺たち洋々も、引き続きもっといい世界を創っていくことに貢献したい。そしてその時には「これまで」を作ってくれた先人への敬意を忘れずにいたい。もちろん、ホリエモンにも。
2010年11月2日火曜日
「所得格差が教育格差の原因」は本当か
で有意な差がある」というデータを引き合いに出して、政治家が社会問題として取りあげることも多くなった。
しかし、「お金」を教育における最重要論点に据える姿勢には強い違和感を覚える。
確かに、教育の多くの機能がお金で買えるようになった今、お金が沢山あれば選べるものは増える。また、経済
的事情で進学を諦めなければならない子供がいるのも事実だ。けれども、お金がないといい教育を受けさせられ
ない、と考えるのは短絡的だ。
公文、しまじろう、ECC、日能研、四谷大塚…。小学生以下に絞ってもお金を出して学ぶ場は山のようにある。
都市部では中高一貫の私立校の人気は相変わらず高いし、海外のボーディングスクールに留学する中高生も増え
ていると聞く。しかしこれらは全て手段にすぎない。「どんな人間として世に送り出したいか」というヴィジョ
ンと、「子供と『自分なりの精一杯』で向き合う」という覚悟なしに、どんな手を打ったところでむなしい。
もし「教育格差」なるものが存在するとするなら、それは親の子育てへの本気度の差によるものであろう。決し
て所得ではない。本気度に比べたらやり方の違いなんてどうだっていい。子供と真剣に向き合い、世の中を見つ
め、必要なことを見極め、適切だと信じるやり方で施す…。お金がなくても、時間がなくても、育む人が必死で
考え、精一杯やった結果であればそれがどんな形であろうとも、きっと子供には伝わる。子供の成長に最適な教
材や方法論は、親子の本気の対話の中にしかない。
お金がないことなんて言い訳にならない。大切なのは、「何をさせるか」ではなく「どんな人として育みたいか
」だ。そして、自分の導きが、ともすれば子供の将来を大きく変えることになるという重圧と闘いながら、本気
で子供と向き合い、信じる道を親なりの精一杯でやりぬくという覚悟だ。
お金を出せば様々な教育が受けられる時だからこそ、お金を出しても買えない教育に光を当てたい。自分のやり
方が正しいか、他の人と違うのではないかといたずらに不安がるのではなく、子供を全力で抱きしめることを大
切にしたい。「しまじろう」がいなかった30年前、親達が自分たちにやってくれたように。
次世代の若者を育む立場にある者として、私はこれを常に意識していたい。
2009年11月17日火曜日
俺たちの「クリスマス・キャロル」
しかし、多くの人が気づいているように、こうした後悔は年齢に関係なくあらゆる人が持ちうるものである。下は小学生から、上は定年で仕事を引退した人(あるいはもっと上の方も)まで、どんな若くても、またどんなに年を重ねても「あの時…」という感情を持たない、ということはない。
後悔をもたらすものは、気付きである。予め目標を定めて、それに向けてわき目もふらず駆け抜け続けることだけで生きていけるほど、人間の想像力は豊かではない。想定できることなど、それまで生きてきた経験から導き出したほんの僅かなことでしかない。日々生活を営む中で、目標を決めた時には全く気付かなかったことに否応なく気付かされる。
大切なのは、気付きを得た時にどう動くか、である。気付いた時、人は大なり小なりショックを受ける。早く始めなかったことを悔しがり、それを教えてくれなかった親を恨み、先生を恨み、友達を憎み、何よりそれまで気付かずに過ごしてきた自分を呪う。しかし、結果何もしない。何となく自分と折り合いのつく理由を考えだし、納得させ、またいつもの日常に戻る。これを繰り返しているうちに、いずれ気付くことすらなくなってしまう。そう、クリスマス・キャロルのスクルージ爺さんのように。
人の道さえ外さなければ、やってみて取り返しのつかないことなんてほとんどない。そして、多くの場合、やって失うものよりもやらないで得られないことの方が大きい。
もし、「あの時やっておけば…」と思うことがあるなら、今からでもやるべきだ。「今」はすぐに「あの時」になる。
過去は消せない。が、未来を積み上げて行くのは全ての人に許された権利である。遅すぎることはない。人はいつでも新たなスタートが切れる。
まず、やってみよう。