2009年5月23日土曜日

好敵手(ライバル)

 フィギュアスケートのキムヨナ選手は「浅田真央選手がいなかったら今の自分はない」と色々なところで語っている。彼女たちは、お互いがお互いをライバルと認め、ここ数年のフィギュア界を引っ張り、年を重ねるごとにその芸術性、技術、を高めている。キムヨナ選手と浅田真央選手は最近の好例だが、良きライバルの存在は、モチベーションを高め、時には折れそうな心を奮い立たせてくれる。

 女子柔道の谷亮子選手もまた、素晴らしいライバルを持ち、そのライバルの存在によって自らを高め続けてきた人だ。谷亮子選手は中学2年で初めて出場した世界選手権で銀メダルを獲得して以来、オリンピックに5回出場(全てでメダル獲得)、世界選手権は6連覇、そして2006年まで毎年開催されていた福岡国際女子柔道選手権では11連覇という前人未到の記録を達成した。結婚、出産を経た今なお、20年近くにわたって世界のトップ選手の一人として活躍を続ける人である。一つの目標を達成した後、どんな一流のアスリートでも一定のクールダウン期間をとるものである。五輪平泳ぎで2種目を連覇した北島康介選手や、柔道65キロ以下級で五輪3連覇をした野村忠宏選手でさえ、五輪が終わると次の五輪を目指すかどうかは白紙、と言って1年位休養をとってきた。しかし、谷選手はいつでも次の目標を即座に答える。金メダルを取ったその日に次の目標を「オリンピックの連覇」「世界選手権の連覇」と答えていた。
 「多くの人は、世界の頂点に登りつめたら、ものすごい達成感のもとに容易に次の目標など見いだせないもの。実際、次の目標が見えずに、競技を引退する選手も多い。谷選手はなぜモチベーションを切らさずに、すぐに次の目標を設定できるのか」あるインタビューで、記者が聞いた。その時の谷選手の答えがこうだった。

 「私は、初めて畳にあがった小学校1年生の私にまだ勝てていない。肉体も技術も、その頃とは比べるまでもなく強くなっただろう。でも、『柔道と向き合う気持ち』は、まだその時を越えられていない。初めて試合をした時のひたむきな気持ち、無心さ、そして体の底から湧き上がった『楽しい』という感覚。小学校1年生の私を越えられた時、私は喜んで畳を降りる」

 「初心の自分」はもっとも手ごわいライバルである。一方で、行き詰まりを感じている時、自分を救ってくれるのもまた、「初心の自分」なのかもしれない。

 君にも好敵手はいるだろうか。良き好敵手を持とう。

2009年5月15日金曜日

君だけの「風林火山」

 「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し」(孫子)

 昔の人の生きる知恵はすごい。冒頭の言葉は、武田信玄が好んで用いた有名な一節だが、先人たちは、これに限らず自分の拠り所を短い言葉に濃縮して、それを肌身離さずそばに置くことによって、自分の羅針盤としていた。それが座右の銘だ。

 歴史にもまれた古事、ことわざの中には素晴らしいものが多い。例えば、学びに関することだけでも山のようにある。

「学びて時にこれを習う。また説(よろこば)しからずや」(論語)
「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」(作者不詳)
「少にして学べば、壮にして為すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」(佐藤一斎)

 偉人の言葉にも私たちの拠り所となる言葉が多い。

「俺は、昨日の俺ならず」(坂本龍馬)
「面白き ことも無き世を 面白く すみなすことは心なりけり」(高杉晋作)
「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである」(松下幸之助)

詩や映画や本、そして漫画にだって座右の銘になりうるものが沢山ある。

「唇には歌を、心には太陽を」(ツェーザル・フライシュレン)
「You’ll never find rainbows if you're looking down.」(チャーリーチャップリン「サーカス」)
「これでいいのだ」(バカボンのパパ、赤塚不二夫「天才バカボン」)

格言と呼ばれるものは、人間の心理を端的に表しているからこそ支持されている。インターネットがなかった時代、相場師たちの拠り所の一つは「相場格言」と呼ばれるものだった。この相場格言の中にも生き方に通じ、座右の銘にできそうな言葉が豊富にある。

「『もう』は『まだ』なり。『まだ』は『もう』なり」
「人のゆく裏に道あり花の山」
「夜明け前が一番暗い」

 座右の銘、は別に小難しい言葉である必要はない。身近なところでは、日本のポップスだって新旧問わず名言の宝庫だ。

「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい」(海援隊)
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。ダメになりそうな時、それが一番大事」(大事マンブラザーズバンド)
「負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」(SEAMO)

もっと言うと、自分で作ったって良い。自分の美学、哲学を端的に表したものであればいいのだから。敬愛する前職の同僚の座右の銘を紹介しよう。これを聞いた時には思わずうなった。それ以来、私自身の座右の銘の一つでもある。

 「苦しい時には、高田純次を思い出せ」

 まさに至言である。

 君だけの座右の銘を持とう。

2009年5月9日土曜日

雲の上の景色

 飛行機の離陸5分後が好きだ。大雨の日に飛行機に乗ると、離陸後しばしの強い揺れの後、一瞬にして視界が開ける。大荒れの地上の天気とはうって変わって、それこそ雲ひとつない青空の中で、太陽との対話の時間がそこにはある。

 勉強、スポーツ、音楽、美術、仕事…どんな世界でも、それぞれの世界でそれぞれの高みに登った人だけが見える景色がある。今まで見えなかった太陽が現れる。しかし、雲を抜ける前に高度を下げてしまう人があとを絶たない。既に太陽を見た人からすれば、「あと少しで太陽を見られるのに」という気持ちになることも少なくないだろう。

 もちろん、こうしたことはなにも21世紀特有の現象ではない。しかし、転職するのが普通のこととなり生き方の選択肢が増えた今、昔ほど一ヶ所にしがみつこうとする人が減ったことは事実だ。これを「現代人は精神力が弱くなった」と片付けるのは簡単である。けれどもそうした側面が仮にあったとしても、精神論だけでは打ち手は見えない。

 最近の10代、20代の人たちを見ても、昔よりも精神力が弱くなったとは思わない。また不真面目になったとも思わない。むしろ10年前と比べて、自己研鑽に余念がなく、「無駄な時間」をいかに削れるか、ということに一生懸命な若手が増えた印象がある。時間をより大事に使おうとしている人や、自己の成長への渇望感を持つ人は10年前と比べても確実に多くなっている。私自身の周りにも一生懸命自分を磨こうとしている人が沢山いる。けれども、多くの人が「先が見えない不安」にさいなまれ、信じていた「太陽」の輝きすら色あせていく。そして太陽が見える前に別の道を選ぶ。

 多くの人が高度を下げてしまう理由は「この苦しみの向こう側に何があるのか」が見えないことにあると思う。入ってくる情報が多くなり、「絶対方程式」と捉えられてきたことがあちこちで崩れ去る様を目の当たりにして、自分は何を信じていいのか分からなくなっているのである。目的地が分からない行進ほど苦痛なものはない。

 これまでの「常識」が崩れつつある中、自分のやっていることに不安を覚えることは今後ますます多くなる。過去までの延長線上で捉えられなくなった「新世界」で、私たちは何をすべきだろう。

 その為にまずすべきなのは日々、世の中との対話力を磨くことだ。「新世界」では「自分の尺度」を作ることが不可欠だが、それが中長期的に見て世の中に必要とされているものでなければ意味がない。そして、もう一つは自分との約束を守ること。もちろん柔軟さは必要だ。けれど、自分が何を頑張るのか、ということを徹底的に考え抜き、進むべき方向を決めたら、ちょっとやそっとのことで一々ぶれてはならない。

 今見えている大荒れの天気に惑わされず、雲の上の景色をイメージしよう。私自身、今日も一足一足足元を固めていく。きらめく太陽と一対一で語り合えることを信じて。

2009年5月1日金曜日

宝探し

 宝物は全ての人の中にある―。

 これが私の信条であり、これを信じているからこそ、人生が楽しい。
何のために大学に行くのか、何のために就職するのか、何のために結婚するのか、何のために日々生きるのか。多くの人がその意味を深く考えることなく自分の進むべき道を決めている。意味など後から付いてくる―それもある意味正しいとも思う。
 人生とは、自分に出来ることを考え、周りの状況や制約条件を踏まえて、次にどのカードを切るかという意思決定の連続である。その意味で人生はゲームである。どんなゲームでも、まずは自分の手札で何ができるかを考えることが、ゲームを有利に進める上で最低限必要であるのと同じように、自分の中の宝物に気づくことは、人生というゲームをより有利に、より楽しくするための前提であると言える。
洋々に参画するまでは世界的な経営コンサルティング会社で12年近く、コンサルタントとして日本を代表する様々会社の経営陣や従業員とともに仕事をしてきた。そこで学んだのは、答えは全て会社の中にあるということ。誤解をしている人も多いが、コンサルタントは目からウロコが落ちるような、斬新なアイディアに基く解決策を教えてくれる「魔法使い」では決してない。その会社で働く人と徹底的に対話し、問題の本質を明らかにし、その問題に対して最も効果があると思われる解決策を提示し、それを企業のコンセンサスとして確立する。このプロセスこそがコンサルティングであり、相手を理解せずに、誰にでも効く特効薬を処方することは、コンサルタントの仕事ではない。問題の本質も打ち手もそのほとんどはその企業の誰かしらが気づいていたり知っていたりするものだ。しかし、それが共通知になっていなかったり、会社としての優先順位が明確でなかったりすることで、多くの企業で有効な打ち手が取れずにいるのである。コンサルティングの本質は、「企業に眠る宝探しのお手伝い」だと思っている。

 今、日本中の様々な組織で似たような状況がある。企業、学校などの公的な組織だけでなく、家庭、部活動、趣味のサークル…。自分の、自分たちの中にある宝物に気づかなかったり、気づいていてもそれに目を向けていなかったり、優先順位が低かったり。どんな人にもどんな組織にも宝物はある。全ての人が自分の中の宝物に気付き、それを掘り出せたら今よりももっと日々を楽しく過ごせるに違いない。私たちは少しでもその手伝いができたらと思っている。全ての人が大志を抱き人生を謳歌出来るように。